2017年02月09日
◎ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(前編)
こんにちわ。自称、石垣島自然愛好会!、「ゆんたくガーデン」園長・琉球ジョーです。
皆さんこんにちわ。なんと今日でこのブログを書き始めてから丸5年になります!。時々長い穴が空いたりしますが、よくまぁ続いていると関心します。アップ出来てない書きかけが100ぐらいあります(^^;)。自分の中で材料不足を感じるとすぐ後回しにしちゃいますが、追々ちばりたいと思いますので今後もご拝読宜しくお願いします。
それで今回は「石垣島でブログ継続5周年記念」と言うことで、石垣島の繁華街で、最低でも月に数回は僕も徘徊する美崎町に愛をこめて好き勝手に思いを書かせてもらいます(笑)。テーマは「美崎町と新宿ゴールデン街」です。まずは手前味噌ですが、最初は都会にある酒場の話しから・・・。
今では島暮らしの筆者も元々2009年までは新宿ゴールデン街という大都会の酒場街で17年ほどBarをしてました。そこは500坪ほどの狭い敷地に今では280店舗ほどの店が犇めく木造のバラック街です。戦後暫くして出来た街です。80年代は文化人も多いけど、論理武装必須な知る人ぞ知る激論好きが集う酒場でした(笑)。
そして僕が沖縄に移住する頃には恐らく新宿でも一番繁盛している繁華街になっていたと思います。実は僕が始めたAsianBar「流民」という店は実家の1階にあります。今は元スタッフが借りてくれていますが、昨年4月、同様に知人にて貸していた二階から出火、家屋が全焼した上で17店舗に延焼しました。放火でしたが、幸い死者もなく今は皆さまのお陰で流民も今年から再開しております。
さて、本題に・・。2009年に沖縄に移住してからの僕はお酒をいただく側にまわっています。勿論お酒は好きですし、出来るだけ酒場には行きたい方です。酒場は社交場でもあり、病院でもあると思っていますので、実は飲み食いする以上の価値があると思っています。当然、旅をしていた頃は夜の美崎町にも大変お世話になりました。
当時、毎回立ち寄る老舗の店主さんから意外な呟きを聞いていました。これまでに少なくとも4~5名から同じ嘆きを聞いています。何かと言うと・・、「町を盛り上げたい」という思いが中々繋がらず切ない、ということでした。今は石垣島もバブルで以前よりいい景気なはずなのに、つい最近でも同じようなことを耳にしましたので感じていることを認めたくなりました。
話しを聞いて、僕も頷いてしまいます。旅人時代から15年通って感じる美崎町は、正直今でも「活きているのか、死んでいるのか」よく分からないところがあります。未だにバブル崩壊後のゴールデン街のイメージと被るのです。ゴールデン街は全盛期だった80年代に比べ90年代初頭には半分まで店が減ってしまった過去があります。
美崎町全体は約5万坪の敷地とか。繁華街がその半分だとしても、実にゴールデン街の50倍の面積で、確かに動画からも分かるように広々ゆったりとしてる感じがありますね。「人口1万人あたりの飲食店数」がトップの沖縄県。そして過去の記憶に頼ると中でも石垣市が人口比で一番飲食店が多い市町村だったような・・。更に店舗は増え続ける現在・・。
観光客が増えているとは言え、海外組や学生が街で飲むこともなく、店は増えて更に客は分散化していきます。資本力のあるチェーン店は景気を見ながらやってきて儲からなくなったら易々と身を引いてゆきます。個人店が景気の雰囲気に身を委ねてしまったら危険です。そこで折角飲み屋中心の繁華街であることをもっと活かしたらどうかと感じるわけです。夜市、桟橋マーケット・ゆくるなどの企画も行われておりますが・・。
自治体企画のチャレンジも行われておりますが、もうひと踏ん張りかなぁ・・。どこかちょっと腰折れに終わってる感じがあります。ステージ、ライブ、そして美味しいものやらB級グルメも楽しめるイベント、決して悪くはありません。でも、この手のイベントは本来自店舗への集客に繋がらないと余り意味がないのです。
石垣島は開港以来のバブル期です。でも相変わらずの「なんだ、こんなつもりじゃなかった。」のすぐメゲた閉店に加えて、「やる気満々だけどスタッフが足りないさぁ~」の人手不足閉店も起こっています。何れにしろ努力なくして安定はありません。前者は体質的なものとしても、後者は勿体なさ過ぎます。それはハッキリ言いますと街に魅力が足りないのです。
僕はもっと美崎町が魅力的になれば働き手も繋がると思っているので、敢えて別視点から提言したいと思います。勿論、今ある企画を否定するものはありません。ただ視点を、外見重視から内面重視に転換する必要があるように感じています。美崎町が古くからある割にどっしりしていない感があるのは「八重山ひじゅるー」が原因かなと思っています。
基本的にはまず「行政」と「島の論理」から離脱して本気で街を盛り上げたい誰かが乗り出していかなければなりません。つまり「嫌われ者」が必要ということです。いやですよね。誰もなりたくないですよね。改革をしようとすると100%の割合で反対派が生まれます!。はい、間違いありません。そこで、戦い方いや乗り越え方を学びましょう・・・これから、ちょっと僕の街おこしの経験を話させて下さいね。(中編へ続く)
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皆さんこんにちわ。なんと今日でこのブログを書き始めてから丸5年になります!。時々長い穴が空いたりしますが、よくまぁ続いていると関心します。アップ出来てない書きかけが100ぐらいあります(^^;)。自分の中で材料不足を感じるとすぐ後回しにしちゃいますが、追々ちばりたいと思いますので今後もご拝読宜しくお願いします。
美崎町にランドマーク的な石垣島ヴィレッジも出来て・・
それで今回は「石垣島でブログ継続5周年記念」と言うことで、石垣島の繁華街で、最低でも月に数回は僕も徘徊する美崎町に愛をこめて好き勝手に思いを書かせてもらいます(笑)。テーマは「美崎町と新宿ゴールデン街」です。まずは手前味噌ですが、最初は都会にある酒場の話しから・・・。
昼と夜(wiki)の東京「新宿ゴールデン街」
今では島暮らしの筆者も元々2009年までは新宿ゴールデン街という大都会の酒場街で17年ほどBarをしてました。そこは500坪ほどの狭い敷地に今では280店舗ほどの店が犇めく木造のバラック街です。戦後暫くして出来た街です。80年代は文化人も多いけど、論理武装必須な知る人ぞ知る激論好きが集う酒場でした(笑)。
僕が経営していた頃の店内風景(2004年頃)
そして僕が沖縄に移住する頃には恐らく新宿でも一番繁盛している繁華街になっていたと思います。実は僕が始めたAsianBar「流民」という店は実家の1階にあります。今は元スタッフが借りてくれていますが、昨年4月、同様に知人にて貸していた二階から出火、家屋が全焼した上で17店舗に延焼しました。放火でしたが、幸い死者もなく今は皆さまのお陰で流民も今年から再開しております。
まだまだ老舗で頑張ってるお店もあります
さて、本題に・・。2009年に沖縄に移住してからの僕はお酒をいただく側にまわっています。勿論お酒は好きですし、出来るだけ酒場には行きたい方です。酒場は社交場でもあり、病院でもあると思っていますので、実は飲み食いする以上の価値があると思っています。当然、旅をしていた頃は夜の美崎町にも大変お世話になりました。
新しくて魅力的なお店もあります
当時、毎回立ち寄る老舗の店主さんから意外な呟きを聞いていました。これまでに少なくとも4~5名から同じ嘆きを聞いています。何かと言うと・・、「町を盛り上げたい」という思いが中々繋がらず切ない、ということでした。今は石垣島もバブルで以前よりいい景気なはずなのに、つい最近でも同じようなことを耳にしましたので感じていることを認めたくなりました。
僕が移住した翌年の2012年の夜の美崎町 師走で人が多い方
話しを聞いて、僕も頷いてしまいます。旅人時代から15年通って感じる美崎町は、正直今でも「活きているのか、死んでいるのか」よく分からないところがあります。未だにバブル崩壊後のゴールデン街のイメージと被るのです。ゴールデン街は全盛期だった80年代に比べ90年代初頭には半分まで店が減ってしまった過去があります。
こちらは昨年の石垣島ヴィレッジがOPENしてからの昼の美崎町
まぁ確かに時代も違いますね。僕の様に盛り場に出たなら、何軒か梯子すると言う人は大幅に減って、飲まない若人も多いのでしょう。それが故に、今のゴールデン街が一軒で終わることがない梯子酒天国の大人のワンダーランド状態になっているのと比較すると、折角酒場街として整っている有利性が活かさずに連携が薄いところを残念に感じてしまうのです。美崎町は末広がりの三角形のエリアですね
美崎町全体は約5万坪の敷地とか。繁華街がその半分だとしても、実にゴールデン街の50倍の面積で、確かに動画からも分かるように広々ゆったりとしてる感じがありますね。「人口1万人あたりの飲食店数」がトップの沖縄県。そして過去の記憶に頼ると中でも石垣市が人口比で一番飲食店が多い市町村だったような・・。更に店舗は増え続ける現在・・。
海外からの豪華客船も次々寄港してますね
観光客が増えているとは言え、海外組や学生が街で飲むこともなく、店は増えて更に客は分散化していきます。資本力のあるチェーン店は景気を見ながらやってきて儲からなくなったら易々と身を引いてゆきます。個人店が景気の雰囲気に身を委ねてしまったら危険です。そこで折角飲み屋中心の繁華街であることをもっと活かしたらどうかと感じるわけです。夜市、桟橋マーケット・ゆくるなどの企画も行われておりますが・・。
昨年8月の「夜市(よるいち)」初期は通りで開催
自治体企画のチャレンジも行われておりますが、もうひと踏ん張りかなぁ・・。どこかちょっと腰折れに終わってる感じがあります。ステージ、ライブ、そして美味しいものやらB級グルメも楽しめるイベント、決して悪くはありません。でも、この手のイベントは本来自店舗への集客に繋がらないと余り意味がないのです。
つい先日行われた「桟橋マーケット」
石垣島は開港以来のバブル期です。でも相変わらずの「なんだ、こんなつもりじゃなかった。」のすぐメゲた閉店に加えて、「やる気満々だけどスタッフが足りないさぁ~」の人手不足閉店も起こっています。何れにしろ努力なくして安定はありません。前者は体質的なものとしても、後者は勿体なさ過ぎます。それはハッキリ言いますと街に魅力が足りないのです。
昼間に行われる「ゆくる美崎町」
僕はもっと美崎町が魅力的になれば働き手も繋がると思っているので、敢えて別視点から提言したいと思います。勿論、今ある企画を否定するものはありません。ただ視点を、外見重視から内面重視に転換する必要があるように感じています。美崎町が古くからある割にどっしりしていない感があるのは「八重山ひじゅるー」が原因かなと思っています。
街コン「Lamigoナイト」という合コンイベントも
基本的にはまず「行政」と「島の論理」から離脱して本気で街を盛り上げたい誰かが乗り出していかなければなりません。つまり「嫌われ者」が必要ということです。いやですよね。誰もなりたくないですよね。改革をしようとすると100%の割合で反対派が生まれます!。はい、間違いありません。そこで、戦い方いや乗り越え方を学びましょう・・・これから、ちょっと僕の街おこしの経験を話させて下さいね。(中編へ続く)
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