◎桴海「尖閣神社」
こんにちわ。自称、石垣島自然愛好会!、「ゆんたくガーデン」園長・琉球ジョーです。
看板が気になったので寄ってきました
3月24日に石垣島の北部の伊土名(いどな)に行く予定があり、帰りに気になっていた尖閣神社に行ってみました。元々は、2000年4月20日に尖閣諸島の魚釣島(石垣市字登野城2392番地)に創建されたものだそうです。そうです、尖閣諸島は日本国の所有地です。
Google Earthでは確認出来ました(拡大可)
石垣在住でありながら、尖閣神社なるものがあったこと自体を知ったのはほんの1年ぐらい前です。しかもこの看板を見なければ気づかなかったかも知れません。調べるとこの神社の祭神は伊勢神宮から分霊した天照大御神(あまてらすおおみかみ)ということです。
79号線(石垣港伊原間線)の看板を右
まずは北を頭にすると路上の看板を右手に上がってゆきます。舗装されていない細い農道のような道にまた看板が出てきます。更に上がります。周囲には人家は見かけられず、僕が行った時はコロナの影響もあってか、誰も参拝者はいませんでした。
尖閣神社にもちゃんと社務所が・・・
坂道を中腹まで登り切ると看板に尖閣神社社務所と書かれた黒塗りの小屋がありました。話しを聞きたかったのですが、生憎、鍵が掛かっていて誰もいないようでした。たまたまこの時期だから留守なのではなく、恐らく常駐の神主さんはおられないのかも知れません。
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まだ真新しい鳥居と祠が目に入ってきました
尖閣神社創建の事業は
日本青年社の主導で行なわれ、元々は木造の祠が建設され、戦後初めて魚釣島に神職が上陸して斎行されたそうです。2008年に何者かに祠が破壊され、2019年2月17日に、この地に新たに建立され奉祝祭が執り行われたとありました。
決して広くはない敷地ですがやはり厳かです
鳥居をくぐると左側には奉納の記文、右側には再築之碑と神社の由来記の碑があります。宮司は滑川祐二とあり、調べると当時の日本青年会副会長ですね。「再築之碑」には魚釣島にはかつて鰹節工場などがあり多くの日本人が住んでいたとことが記されています。
由来記は是非ご一読下さい(拡大可)
尖閣諸島が6島と3つの岩礁から成り、明治28年に日本国領土を宣告し、沖縄県に編入したとあります。平成20年に妖族が入り破壊されたが此処に建て直した旨が記されています。なるほど右傾色強い記述の仕方ですが個人的には全く異論はございません。
今回は尖閣近海の安全を祈願して
神社は尖閣諸島の鎮護と東シナ海を航行するすべての船舶の安全を願いの許に創建されたとあるので、兎に角、尖閣諸島・八重山諸島近海を中心とした平和を祈願してきました。それから、この本殿は約160km先に魚釣島が望める位置にあるそうです。
奥宮には修復された祠が納められている
右派左派関係なく、領土問題に関しては今後も考えて行かなければいけない問題です。世界平和こそ理想ではありますが、それも地球外からの侵略でもない限りは難しそうです。出来れば、「天気晴朗にして波穏やかなり」とあって欲しいものですが・・・。
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