2017年02月09日

ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

[石垣島] ブログ村キーワード ※写真と記事は連動していません。

前編では、何となく僕からすると勿体なく見える美崎町について述べてみました。勿論、私感ですので、余計なお世話じゃないの?と思われる方はスル~でお願いします。でも、これから更に店舗が増え激化する商戦、そしていつかバブル弾けちゃうんじゃない?と?、美崎町の心配をされる方は参考までにちょいと耳・・じゃないこのまま目を貸して下さい。

当時の店名は「じゅりあん・それる」
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

僕はあのバブル崩壊後、10年経営していた輸入会社を売上の激減から閉鎖する憂き目に遭い、そして家庭も失い、公庫の残債を1億近く抱えていました。その後、流れもあって実家のスナックバーを手伝う運びになったのですが、90年初頭のゴールデン街はもう風前の灯。当時は週6営業日でお客さんが来るのは週の半分ぐらいという有様でした。これじゃ自分の代には潰れるなぁと・・。でも他に行く当てはないのです・・。

なんだか寂寥感で溢れていたゴールデン街
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

長年、飲み手の僕でしたが接客側に立つのは初めてで何の腕もありません。なので自分が客の時に嬉しかったことを思い出して実践することにしました。兎に角、客に話しかけることと、1回来てくれた客の名前は全て覚えることに努めました。これは飲食店のキャリアがなくても本当に有効でした。

居酒屋も食材の旨さ+アルファーが大事
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

次に来た時に「あ、〇〇さん、久しぶりですね~、」と言うだけで感動してもらえます。さぁこれさえ美崎町ではどのぐらい実践されてることやら?(チクリ)。基本が出来ていればBarだろうが、スナックだろうが、居酒屋だろうがまず生き残れます。新宿の24時間の居酒屋でもスタッフが積極的に、且つさりげなく会話で接客している店は間違いなく混んでます。

当時作っていたゴールデン街のホムペ
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

母親が引退し、手作りの店のホームページの効果も出てきて若い客層が増えてくれました。同時に古い客達の横柄な老害に手を焼きつつも、これを徹底的に排除しました。今考えると恐ろしい程の鼻っ柱の強さでしたが、新生のためにはご退場頂くしかありませんでした。こうして僕の店は新陳代謝が進んだのですが、まだ街自体が淋しい限りです。そこで、若いお客さんを巻き込んで街のネットサイトを作り始めました。

懐かしい時代にはギターの流しの人もいた
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

当時の僕は実は近隣店のことを殆ど知らなかったので挨拶がてら、「この先インターネットの時代が来るので、そろそろ街のホームページを作りませんか?」って大義名分を抱えて、店休日や閉店後に一店舗づつ飲みに行き始めました。今でこそ沖縄よりもゆいまーるなゴールデン街ですが、当時は今の美崎町以上に連携の欠片もありません。そしてネットが浸透してない時代なので大半の老舗からは「なん、なんだオマエ~?」という扱いでした。

ちなみにゴールデン街は猫町でも有名
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

でも、断られてもよかったのです。実は他の店主達の「今の町に対する気持ちを知る」ことが目的でした。枯れ果てて行くこの町の惨状を由々しく見ているのが僕だけの筈はないと・・。過去の悪い噂話しばかりがネタになって、街に人が来ない事態でしたからね。当然、現状維持でいいと思っている人たちばかりではない筈なのです。要するに先ずは、「仲間探し」です。何かをやろうと思ったら一人だと厳しいです。ありきたりな表現ですが、喜びは倍に、悲しみは半分にしてくれる盟友が必要です。

以前は猫のドキュメントも放映されました
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

当時は家賃もそれほどではなかったので、元々先輩から街に連れて来られた劇団員やバンドマン、大繁華街が苦手という希有な若手もぽつりぽつりとお店を始めていたこともありました。三十代後半の僕にしたら、そんな店主には生き残るために活性化を目論む僕の協力者になってもらいたいので、特に足繁く通いました。

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「歌舞伎町の女王」ジャケもゴールデン街
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

当時の僕はド貧民でしたがケチではありませんでした。ホームページを見て来てくれた若者達と共に遊び、他のお店に連れてゆきました。ある意味勝負だったのかも知れませんが、当時は「損して得とれ」を信じていました。実際に少しづつ知り合いの店が増えると、そのお店からもお客さんを送ってもられるようになり交流が出来ました。

「DEEP RIVER」ポスターもゴールデン街
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

客の行き来も当たり前になって来ると同時に、個性豊かな店を梯子する楽しみを覚えた若者が更に増えてゆきました。そんなことが数年以上続いたある日です・・。チャンスが来ました!。2002年、一軒の若手店主がゴールデン街で結婚式を挙げると言い始めました(笑)。当然、1店舗に10人も入れない店ばかりなので、仲間の店で客の引き受けるという話しです。これには23店舗が加わりました。

「黄昏ロマンス」のジャケットもゴールデン街
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

5000円のチケットを買えば参加店の23店舗で飲み放題!の話題はネットで拡散して、客でもあるライターさん達にも記事を書いてもらったりして、噂は拡がり、常連は勿論のこと、これまでゴールデン街を敬遠していた人達も惹き寄せられてきました。当日の深夜、狭い路地に敷かれた赤絨緞を歩く新郎新婦を祝福せんと人が溢れ、大変な賑わいになりました。

2008年の納涼祭のフライヤー
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

賑わったのは良かったのですが、飲み過ぎた客が救急車で運ばれる騒ぎで、結構顰蹙もんでした(笑)。参加店は近隣店から大分怒られましたが、フリーハグの様な結婚式は参加店の客からは大盛況で「いいイベントだったなぁ・・」のエールの声が僕の心に火を点けました。おっと、「機が熟したぞ~」って思いました。結婚式の制裁が熱を冷ました頃、遂に僕は彼に打診をしてみることにしました。

2011年の納涼祭のフライヤー
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

「1回じゃ勿体ない。まつりにしようや!」→「皆が楽しんだ。絶対に成功する!」→「80年代の様に街に人が溢れる!」と彼を説得。その翌年、僕らは夏枯れの時期を補うために「納涼祭」というイベントの企画を立てました。意外にも企画はかなりの老舗に持って行っても「よし、つきやってやろう」と言ってもらえました。商業化したまつりの初年度は47店舗が賛同してくれました。2003年は2日間開催で5000円飲み放題チケットを売り尽くしました。

2012年の納涼祭のフライヤー
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

さて、長くなりましたが、そろそろ本題に入りましょう・・。最初に二人で始めたこのイベントは正直3回ぐらいのブログでは書き切れない様々な問題も発生しました。決して楽な道ではありませんでしが、毎年、仲間で知恵を絞り一つ一つ問題を解決してやってきたように思います。色々な軋轢を経験しながら、僕らの最終目標だった組合主導になって、まつりは今も続いています。参加店も130店舗以上となったそうです。

2015年の納涼祭のフライヤー
ブログ5周年特集「美崎町に愛をこめて」(中編)

今は僕も盟友も、もう街にいません。でもあの頃、議論しぶつかり合い、叱られながらも皆で持てる知恵を出し合った関係こそが何よりも、しっかりと根を張った酒場街にしたのだと思います。丈夫な根が張りました。だからもう心配はしていません。また景気の変動やら、火事はきっとあるでしょう。でもその度に逞しく乗り越えて行ってくれると確信出来ます。何故なら、お互い関わることを億劫としない「ゆいま~る」と「いちゃりばちょうで~」の精神が街の土台になっているからです。(後編へ続く)

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Posted by 琉球ジョー at 22:00 │時 事提 言